樋口一葉旧居跡
住所 / 文京区本郷4−32−31

 一葉は、父の死後母妹と共に、次兄虎之助のもとに身を寄せた。しかし、母と虎之助との折り合いが悪く、明治23年(1890)9月、3人は旧菊坂町70番地(この路地の菊坂下道に向かって右側)に移ってきた。ここは安藤坂の萩の舎(一葉が14歳から没するまで通った歌塾)に近い所であった。
 明治25年(1892)5月には、この路地の反対側の下道に面したところ(菊坂町69番地)に移った。
 ここでの2年11か月(18〜21歳)の一葉は、母と妹の3人家族の戸主として、他人の洗濯や針仕事で生計を立てた。おそらく、ここにある掘抜井戸の水を汲んで使ったと思われる。
 きびしい生活の中で、萩の舎での歌作と、それに必要な古歌や古典の研究をし、上野の図書館にも通い続けた。そして、萩の舎での姉弟子田辺花圃の影響で、小説家として立つ意志をかため、半井桃水にに小説の指導を受けた。
 明治23年(1892)3月「武蔵野」創刊号に小説「闇桜」が掲載された。また、小説と共に貴重な日記はここに住んでいた明治24年(1891)4月1日から書き始められている。いわば、ここは一葉文学発祥の地と考えられる。菊坂上通りに、一葉や母のよく通った質店が今もあり、その土蔵は一葉当時のものである。
                (文京区教育委員会看板より)

Copyright © 1999 扇 屋  All rihgts reserved.