麟祥院
住所 / 文京区湯島4−1−8

春日局墓
 幼名は福。父は明智光秀の重臣斎籐内蔵助利三、母は刑部少輔越智道明の女で、はじめ稲葉佐渡守正成の妻となり、正勝、正定、正利の三子をもうけましたが、慶長9年(1604)三代将軍家光公の乳母として招出され三千石を賜りました。
 家光公が将軍職に就くため献身的な活躍をし、大奥の確立に尽くしたことは有名です。
 寛永5年家光公25歳の折、疱瘡にかかられ、諸医の手当にも験がなかった時、局は斎戒沐浴して東照大権現の神前に詣で「将軍の病が平癒したら今後私が病気になっても絶対に薬を服用しません。」と祷りました。
 その忠誠心に感応してか、日ならずして家光公の病気が恢復しました。そのため局は身の終わる迄針灸薬餌を一切用いなかったと言うことです。
 寛永6年京都へ上り御所へ参内し、春日局の号を賜り、後水尾天皇より天盃を頂戴しました。同9年再び台命により上洛し、明正天皇より従二位に叙せられました。寛永20年(1643)9月14日、65歳で卒し、当院墓地に葬られました。

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