弥生式土器発掘ゆかりの地
住所 / 文京区弥生2−11

 江戸時代は、御三家水戸藩の中屋敷であった。明治2年新政府に収用され、同5年町屋ができて、向ヶ岡弥生町と名づけた。
 町名のいわれは、文政11年(1828)3月10日・水戸家9代徳川斉昭が屋敷内に建てた歌碑からとられた。
「ことし文政十余り一とせといふ年のやよいの十日さきみだるさくらがもとにかくほかきつくこそ」と述べ、次の歌が刻まれていた。

名にしおふ春に向ふが岡なれば世にたぐひなきはなの影かな

 明治17年、ここの貝塚から発見された土器は、町名をとり弥生式土器と命名された。

文京区旧町名案内板より

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